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吃音を忘れたアノ瞬間

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『どもってもいいから勇気を持って
正々堂々と、みんなの前でしゃべれば良いんだよ。
 
それが君の個性だし。
どもったって誰も君のことを否定できるもんじゃないだろ?
 
自信を持てばいいんだよ!
 
自分は自分
それで良いんだよ・・・・』

 

20代後半だっただろうか
書籍まで出している
ある人のカウンセリングを受けた時の言葉です。

 

この瞬間に、思った。

 

『コイツ、何にも分ってねー』

 

『それが出来れば
お前のとこなんか来てねーよ!』

 

また無駄金を使ってしまった、、、
と、凄く後悔したのを覚えている。

 

吃音者は吃音を経験した人でないと分らない。
と何度も思わされたことがあった。

 

気休めの言葉などかけられても
何も嬉しくない。

 

では、僕がもっとも吃音で傷つき悩んでいた
あの高校生の頃に、何と言って声をかけてくれたら
嬉しかったのだろう…

 

と、当時を振り返ってみると…

 

気づかいも要らない。

 

普通に接して
周りと同じ高校生のひとりとして接して欲しかった。

 

どもったからって、変な気を回さないで
普通に接して欲しかった。

 

そう、特別なことなど何も要らない。

 

小学生のあの頃のように
無邪気に付き合えるそんな関係を求めていたと思う。

 

でも…

よくよく考えたみたら
そんな”普通”を求めていた自分自身が
一番普通じゃなかったのかもしれません。

 

吃音による自意識過剰。

 

勝手に吃音というコンプレックスを背負って
心を閉ざしてしまっていたのかもしれない。

 

今だからそう気付きます。

 

そんな壁を作っておきながら
『なんで、俺に興味を持ってくれないんだ…。』

 

と勝手に、すねていたのかもしれません。

 

でも、これが歯がゆいところで
この壁を破るには、正直自分ひとりでは無理なんです。

 

絶対、人の助けが必要だと思います。

 

助けというと、
“吃音をいうハンデを負った人を助ける”
という意味ではないく、

 

仲間です。
同志ですね。

 

共通の趣味とか仕事ですかね。

 

ここの繋がりが深くなればなるほど
吃音って気にならなくなります。

 

そして、そんな趣味や仕事で
一定の成果が出てくると
それが自信になって、

その自信によって
吃音もどんどんと軽減していくんです。

 

これは、自分の経験からも確かなことでした。

 

とは言っても、
打ち込めるものもない。

 

これが当時の僕でした。

 

でも、今はインターネットを使って
同じに趣味や同じ考えを持った人たちを
簡単に見つけられ、簡単に繋がれます。

 

これは、凄いことだと思います。

 

これが、僕の学生の頃と
圧倒的に違うところです。

 

ぜひぜひ、この環境を
積極的に活用して欲しいところですね!




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